2015/05/23

佐藤教授の思い出

ワイキキも暑い日が続く

日本で働いていた頃お世話になった先生が定年退職されていた。

その頃わたしは先生の一番弟子を自称していた。

実際には一番ではなかったし、今となっては一番出来の悪い弟子となってしまった。

先生は学者には珍しく世俗のバランス感覚もあり、やさしく、寛容な人であった。


私があるプロジェクトを任されていたときに、メンバーが大きな事故を起こしたことがあった。そのとき、私が文科省まで報告書を提出する事態にまで発展した。

それまでたくさんの同僚がいろいろと協力なり、口出しなどをしていたのであるが、その事故を境にぱったりと誰も話しかけてこなくなった。「蜘蛛の子を散らすようにとはまさにこのことか」と思ったものである。

事故後もなんら態度を変えることなく後始末までサポートしてくれたのは、ただひとり佐藤先生だけであった。


アメリカに来る直前、佐藤先生のところへ挨拶にうかっがった。

先生は「あなたを一人前にするために日本は大金を使いました。どこに行ってもそれを忘れないようにしてください。」とおっしゃった。

先生のウェブサイトを見ると10年以上も前のひとつの論文がのっている。私と共著の論文である。

一番弟子だけがうだつが上がらず、本当に申し訳ない。

せめて人柄だけは先生に近づきたいと思う。
(以前のブログから転載)

0 件のコメント:

コメントを投稿