| ワイキキも暑い日が続く |
日本で働いていた頃お世話になった先生が定年退職されていた。
その頃わたしは先生の一番弟子を自称していた。
実際には一番ではなかったし、今となっては一番出来の悪い弟子となってしまった。
先生は学者には珍しく世俗のバランス感覚もあり、やさしく、寛容な人であった。
私があるプロジェクトを任されていたときに、メンバーが大きな事故を起こしたことがあった。そのとき、私が文科省まで報告書を提出する事態にまで発展した。
それまでたくさんの同僚がいろいろと協力なり、口出しなどをしていたのであるが、その事故を境にぱったりと誰も話しかけてこなくなった。「蜘蛛の子を散らすようにとはまさにこのことか」と思ったものである。
事故後もなんら態度を変えることなく後始末までサポートしてくれたのは、ただひとり佐藤先生だけであった。
アメリカに来る直前、佐藤先生のところへ挨拶にうかっがった。
先生は「あなたを一人前にするために日本は大金を使いました。どこに行ってもそれを忘れないようにしてください。」とおっしゃった。
先生のウェブサイトを見ると10年以上も前のひとつの論文がのっている。私と共著の論文である。
一番弟子だけがうだつが上がらず、本当に申し訳ない。
せめて人柄だけは先生に近づきたいと思う。
その頃わたしは先生の一番弟子を自称していた。
実際には一番ではなかったし、今となっては一番出来の悪い弟子となってしまった。
先生は学者には珍しく世俗のバランス感覚もあり、やさしく、寛容な人であった。
私があるプロジェクトを任されていたときに、メンバーが大きな事故を起こしたことがあった。そのとき、私が文科省まで報告書を提出する事態にまで発展した。
それまでたくさんの同僚がいろいろと協力なり、口出しなどをしていたのであるが、その事故を境にぱったりと誰も話しかけてこなくなった。「蜘蛛の子を散らすようにとはまさにこのことか」と思ったものである。
事故後もなんら態度を変えることなく後始末までサポートしてくれたのは、ただひとり佐藤先生だけであった。
アメリカに来る直前、佐藤先生のところへ挨拶にうかっがった。
先生は「あなたを一人前にするために日本は大金を使いました。どこに行ってもそれを忘れないようにしてください。」とおっしゃった。
先生のウェブサイトを見ると10年以上も前のひとつの論文がのっている。私と共著の論文である。
一番弟子だけがうだつが上がらず、本当に申し訳ない。
せめて人柄だけは先生に近づきたいと思う。
(以前のブログから転載)
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